10.27.2011

それは倫理の問題

日光東照宮をいかものと呼び、建築の堕落の極致と呼んだのはブルーノ•タウトであった。彼は一方、桂離宮を東洋のパルテノンと絶讃した。それは、それでよいのである。ただ、著名な異邦人の評価によって私たちの遺産の株価のように、上昇したり下降したりしてしまうこの国の文化的風土が問題として残るだけなのである。

住宅論/装飾空間のための覚え書き 篠原一男より

これを装飾をめぐるグローバルの端緒と見ずしてなんと呼ぶ。今更ながら、ロースと篠原とレムにほれぼれしている。

2 件のコメント:

T さんのコメント...

自分らの文化ぐらいちゃんと自分らで位置づけろよ!って渇を入れられている感じがするよ。
住宅論また読み直そう。

s.horiki さんのコメント...

それを持てない国なんでしょうか。
ここは とにかく外からの目は必要だと思うんだ、いつの時代も。
でもそこに倫理観というか中心が抜けてるとね、全て崩れるのを恐れて 全部取り込んじゃう Yes という返事で。
とにかく今の時代流れてる情報をどう処理するかという課題は急いでなんとかしないとね。

ロース「装飾と罪悪」
ヴェンチューリ&ブラウン「建築の多様性と対立性」
コールハース「ジャンクスペース」
それにこの篠原なんか
ラディカルな文化論を今どう組み立てるんだろうね