6.20.2011

事の終わりの始まり























一年間かけたスタジオが終った。
メモ帳に全てを書いていたから、blogの更新は地震以来になる。

地震後は実際ひどく体調を崩した時期だった。色々な事が重なりに重なって人生の中でも中なか難しい時期であった。
その後取り戻しながら巻き返しをはかったが、最終的に大満足ではなかった。評価は良の上といった所だから、EPFLのMasterスタジオで一番過酷と言われるスタジオの中で上には行けた。
得た事は多くある、それは多岐にわたる。全て同じ道の上に乗っている事だから日本を出て変わったとは思わない。

でも非常によい季節を築けたと思う。
スタジオの選択も全てがランダムに決まったが、その環境の中でやれた事見つけた事と人は決定的だった。

このスタジオでやれた事やれなかった事、今までやった事やれなかった事 将来に全てを還元する為に
ちゃんと日々をまとめて行く環境をスタジオ終了後整えた。(これは久しぶりの小栁津先生との会話で強調されたし堀越先生にも言われた、加えれば八束先生の記憶への憧憬もある。)

僕は8月に日本に帰る。それは出来るだけ早く日本での修士を終えるためで、半年で論文を終了しなければならない。
話の筋はだいたい決まっているが、まだまだUndefinedな事がたくさん散らばっている。それは一つのManifestになるだろう。

僕はまた外に出る。それは確かだ。 
負けて帰るか何で帰るか、それは人の言われよう。
この人口12万人の小さな街での全ての事柄に、嘘をつかないため 継続的な自分を作り世界と関わる。
この先にある事に行動と野望を持って、邁進して行く次第だ。

論文の事は追って追加して行こうと思います。
スイスでの体験も写真とともに夏中に後追いで載っけて行きます。

写真は先日首都のベルン(ローザンヌから電車で一時間程の)に赴き、先学期のStudioLAPAでGroup-workをやった友達を訪ねた。
KTHの元大工(リサーチ能力は普段のゴシップ集めにて培われた)と、哲学+社会学+建築を勉強して先学期EPFLをやめ他大のプロダクトに進みそれもやめ「先生になろうか」とぼやくバー勤務の30才ミュージシャンが写真にうつっている。
本当はもう一人このクソ野郎二匹の他に心の友がいて彼もBern出身だから楽しみにしていたけど、旅行(逃避)で留守だったので本当に残念だった。
アテネを一緒に歩き議論した彼ら、根本的に建築に甘すぎる(疑問を持ちすぎている)という点を除いて本当にいい友達だ。
たった半年だが違う事を経ての友人との再会を写真はちゃんと捕えていると思う。