5.01.2012

about the moment

プロセスの冷凍として絵画を見る事、それを解凍すること。

3.02.2012

le tremblement du monde


















なんとも美しい。
裏に見えるのはアテネの機動隊。


僕はひょんなつながりで、アテネという都市との縁を得た。
スイスでのプロジェクトで敷地となったアテネと一年間付き合った後、いろいろなパラダイムシフトをそこに見た
もはやパラダイムシフトって言葉自体が当てはまるのかどうか分からないけれど、ここで起こっているグローバルとリベラルの汚点はわれわれの思考回路を振動させる。


アテネ市民は税金を払わない。払う人間はバカだとまで言われている。
財政破綻のまず一つの理由はそこだ。
もう一つは産業を持っていない事で、恐るべき事にGDPの15.5%あまりが観光業によってなりたっている。
それに加えて歴史財の保護、環境汚染の対策、深刻な移民問題、非合理的な行政分割などNegative chain reactionが根深くはびこっている。
そして同時に巻き起こる欧州連合の危機は、われわれに共同体の再思考のきっかけを与えてくれる。


われわれの生活や思考が、危機からはじまるとしたら
この写真に存在する愛の様子はそれに差し込む光に思えてならない。



2.27.2012

somewhere

















こうやって普通に映画の事を書くと言うのがどれだけ平和か身にしみています。
論文中は、もうゴダール様々って感じで痛快な気分にならせていただいたのだけれど
やっぱり映画に関して何か言うっていうのほど、贅沢な事はないわけです。


大衆文化は君主と領主の瓦解から生まれたわけだけれど、それがやっぱり都市の美しさみたいなのを生み出した事であって、それは大変に大変なことなんだと思う。そして映画の中にはそういう美しさみたいなのを、すっと見ているこちらの日常に反映してしまいそうなものもある。
映画は近代芸術の一大転換だったけども、こういう二時間なり三時間の時間を買うっていう感覚は非常にアナログで、蜷川実花がフィルムで撮る事にこだわる時に一枚一枚にお金がかかってる事を自覚する事に少し似ている。こういう感覚はいろいろなところにあるだろうけど、ソフィア•コッポラの『somewhere』はまず極めて際どい事をやっていながら、全体を通して「普通」であり続ける映画だった。とくに『マリーアントワネット』から四年たって、その落差に『lost in translation』的な茫漠たる人生観を探したりさせるような、強弱が存在する。言ってしまえばホテルみたいな無重力空間を舞台にした、90年代郊外的雰囲気を匂わせているのだが、それだけで終わらないシュールすぎないバランスのいいコメディが全体にあった。それを一言で「センスのいい」といってしまっていいのかはわからないが、好きか嫌いかという感情を発生させないこの「普通」さをわれわれはいつまでも続けて行くのだろうかという事を考えていた。とにかくこれはまだ分からない映画であると結論をつけた、つまり僕の乗り越えられない年齢的感覚が絶対的にこの映画を美しくしているんだろうからだ。変に共感してもいけないけど、まあそおなのかなと想像することがこの映画の感想だった。

2.22.2012

ouais, c e fini

終わったんだな。不完全ながら 本日、三人からの合格判定をいただきました。
皆様にはたくさんの心配や迷惑をおかけしましたが、この度無事にです。 


内容は課題の残るものですが、幾らかよかったことの一つに 主査であり担当教員である、
八束はじめ先生から 美しい文章 だというコメントを度々いただいた事だ。
 これは内容をさておいて、飛んで喜ぶくらい嬉しい言葉だった。


考えれば大学二年のころ、神経系都市論で大きくリニューアルした10+1を読みあさり
理論の魅力に取り憑かれ、
色々余計な事を覚えて大事な事を忘れてしまったのかもしれないと
変な危惧をいただいていた最近まで

しかし感覚だけで世界を考えられる程、色々甘くはないと特に修士の二年間は思い知った。 そう意味での超人として八束さんに与えてもらった思考実験のチャンス
そして論文に対して頂いた言葉は、今までのまとめとこれからの希望の両方を与えてくれるものだった。


 副査である、堀越、原田の両氏にも今後の糧となる言葉をたくさん頂いた。 


さぁて、これからどうしよう。 久しぶりの無所属に、妙に落ち着く事も焦る事もなく 自分の射程を見定めています。

1.21.2012

hit me, beat me

われわれは謙虚に努力と啓蒙の美を考えなくてはならない。