1.11.2011

consistent policy in the world



























































































































































































Lyon 30+31.12 2011
ローヌ川とソーヌ川という兄弟みたいな名前の川に挟まれた一帯の南端(Lyon Part-Dieu以南)には過去工場(絹織物)があっただろう工業地帯がある。
現在その場所は宅地開発がなされ現在は建設と居住が同時進行のまさに豊洲的状況がひろがっている。
比較的大規模な為、近隣の古い住居群や治安の悪そうな地域(確証はない)とは外郭のみで接していてこれからそれらを飲み込んで行こうとしている。

le monolithe
masterplan / MVRDV
A-E block / MVRDV, ECDM, Manuelle Gautrand Architectes, Pierre Gautier Architectes, Erik van Egeraat Architects.

裏手に河川が引き込まれていたり、この佇まいは完全にどこかの豊洲にある大学に見えてしまう。
この抜けが計画的に次期の計画につながって行くと建物の利用者からすると心地のいいものになりそうだ。
基本ボリュームはMVの方から提出され、五個に分節された棟を各お友達達が設計しているようでその様子はどこかのオランダの街のようだ。
実際は博覧会的な様相はなく、一つ一つが別のものに見える様になっている。ボリュームの切り方等だろうか。
中でもフランス人建築家ECDMの棟を見たときは簡単な操作だけどもファブリケーションの事を中心に装飾の事を考えていた。上に行けば光は強くなるし、そうすると同じパターンがどんどん消えて行っちゃうわけでそれが本来いい事なのかどうなのか。金の話は以前に新建築で高橋堅さんが書いていたけど、それは「金」の事で金色の事ではないし。
内部を見れなかったのでこういう感想になります。まわりの建物が小分けになっていたのに対して、この建物はある計画を持っているという立ち方が出ていたし今後どうやってまわりを巻き込むかという事を(見た目以上には閉じていない計画)雑にも少しは感じさせられるものだった。
好みではないけど、大きいレベルで設定をしていく大切さを少し感じた時期でした。


1.09.2011

toward an organic city





















決定的に違う事は遅さであって、変わらない事変わりにくい事だ。
アジア•日本のスピードに慣れた人間が来ると、最初は「落ち着く」「余裕のある」等といった印象を抱くが。
決定的に遅い。
案の進展 計画の慎重 模型の作り方 街の印象からスタートして色々な所作に影響を出していると仮説を立てた。
これからいろんな場面で検証出来るだろう。

しなやかな 有機的な 等という言葉は今のところ 都市 とは 迎合しない。
それらは今のところ家具の大きさ、敷地の中、タブララサの中にのみいるように見えるからだ。
一つ一つ丁寧に縫い合わせる事、それは態度が優しいという事ではなく形骸化した諸要素が関係を結ぶチャンスを作る事(メタファー抜きで)。

今の状況がもどかしい。自分も 世界も

1.08.2011

big yawn


Chapelle Notre-Dame du Haut






































































































































































































































































































Lausanne-Basel-Belfort-Ronchamp / Colline de Bourlémont, 70250 Ronchamp

なんなんだろうという気持ちはしばらくたっても拭えないけど。
この日は相当に寒く•暗く、体調も含め全てがローな状態で朦朧としていたけど。この場所だけは行っておきたかった。
中も寒い。中も暗い 環境の微量な差が中と外の隙間を通した交通を体現していた。
全てが隙間だと思った。
その隙間を作っているのがまぎれもないこれらmassiveで量感の捉えられないエレメント。
作られた隙間も空間ならば、エレメントそれ自体も空間だった。
外を切るようにスケールアウトしたこれらが配置されている構成と思いきや、それらの隙間は外との隙間を許し何か絶妙な間抜けなバランスを持っていた。
近代の墓標、これらを振り返りながらいつまでも私たちは「建築」を語るのだろうか?

空間への期待、これらの参照元は近代的な空間体験に根を下ろしているのか。
それとももっと個人的なlineageの様なところから来ているのか。
教科書建築をこれからも見続けて、噛み砕いて行きたいと思う。