3.06.2011

soft invention



































昨年MOMAで"small scale big change "という展覧会が行われたようだ。
"山椒は小粒でもピピリとからい"しかし内容を読み込むには少し深く飛び込んでみる必要がある。

深く飛び込むには少し時間がいる、そして大抵理解出来ずに終る。
私たちは世界を広たいと思っていても、それには少しコツがいるし簡単な事でもない。

僕が今プロジェクトで当たってる部分もそこだ、アテネは超極端な街だ。
言葉で表す事はむずかしい、だから前期みーっちりとリサーチをして来た。
それでも分かる事、分かれる事と分かれない事がある。僕の世界の際だ。

その中で一つ2つ見つけたかすかな手がかりが少しずつ関係しだして来たのでその整理を少しする。
考える事が多いとき程、ちゃんと記述して明確に整理するべきだ。

上の写真はアテネのPhilopappou Hillというアクロポリスの丘の南隣の丘である。
言うまでもなくアテネのハイライトはアクロポリスだが、このフィロパポはもっと何もなく気持ちのいい散歩道だ。
そしてこの何ともない道の舗装と、その脇にある教会と小さな小屋を設計したギリシャ人の建築家がいる。

Dimitris Pikionis (1887-1968)彼は大きくとも小学校くらいのスケールの建物しか生涯でやっていない。
彼の一番有名で影響力のある作品がこのPhilopappou HillのRehabilitationだ。
戦後アテネのネオクラシカルの歴史的な建物が取り壊される。当時歴史への感覚が軽薄だった事がわかる。
そしてその瓦礫をPikionisはAthensの再建の為の道に使う。自ら採取し、建設の歳も毎日現場に足を運び、レンガのかけらや不整形の石の配置を確かめる。当時の労働力は、精度なんかにおいてあまりいいものではなかったのでという事もある。しかしそれとは別の事がある。Pikionisは自らの感覚を探りながら現地での作業を進める。

かなりセンシティブな事である。しかしそうやってアテネのもう一つの丘は出来た。

僕は感動した。他の生徒の目にはあまり良くうつっていなかった様に見えたが。うちの教授やアシスタントは好んで彼の作品の心地よさを話す。

アテネに大くてちゃんとした施設は似合わない。それは皆がField Tripで感じた事である。
だから私たちのチームは都市の繊維を縫うように、幾らかの可能性をつなげた。

今回の設計はまったく目立つかっこいい方向には行かないと思う。
ただよく考えてみると、僕はそういう事をやった事がない。そういう意味でいつも通り(正確には2年程前までの)の感覚で素直な事を頑張って続けようかと思う。ちゃんと挑戦する部分ももうけつつ。

うちのスタジオには30人ちょっとの生徒がいて、今期は何人かチームでやっていたりするから合計20個くらいのプロジェクトがアテネの中心に置かれるようになる。
小さな変化が連鎖して街が変わって行く様子、それをスタジオで作って行くという雰囲気はとてもいいものだ。

いかにしても戦わなければ行けない。アテネと仲間と教授と歴史とかに。

もう一人アテネの偉人を紹介したい。

Melina Mercouri(1920-1994)
Pikionisとは時代の違う人間だが、元々女優や歌手として活躍した後に政治家となり多くの事をなした。
AthensにはUnification of Archeological Site というプログラムがあって、歴史的な場所の統合とでもいおうか今も動いているアテネの一大事業だ。それを発案したのが彼女で、文化庁大臣みたいなのをつとめていたときだ。
有名人上がりの政治家にあまりいい印象がないのはなんとなくあるけど、うまく使える人もたまにいる。
今のプランと彼女の理想は少し違っているが、間違いなく今後アテネを支えて行ける一石だ。

僕の計画する敷地やプログラムはそれらのExtension Projectでも言うようなものになると思う。
敬意を払って彼女のしようとした事を読み込んでいる。


中東の国の光景のように、道に絨毯を敷いたとしよう。
そこに大きな変化はないが、使い方が生まれ道は少し親しい場所になる。
アテネの盛り場は道と中庭によく見られた。あとは建築のタイポロジー。

クリティカルリージョナリズムでもグローバリーズムでもグローカルでも現せない、土地や人との奇妙な関係が
今は心地いい
自分は世界はこれからどこまで広がって行けるだろうか。





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